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「クリスマスイヴのなかった家w」20131223

子供の頃から、我が家には、
クリスマスイヴがありませんでした。
母が教え給いしところによると、
12月24日...それは、「お父さんとお母さんの結婚記念日」...だからね!
なんだかなぁ、その契約更新の日、、、だたような...^^

明日ですね...12月24日は。。。

父・大正10年生まれ、母・昭和5年生まれ、
昭和25年の暮れに見合いをして、正月までの休暇中に即婚約、
翌昭和26年12月24日に、高知の潮江天満宮だかで結婚式をしたかと思います。

その1年間に、高知と神戸間に、往復書簡が飛び交うのですが、
父30歳、母21歳、、、もう、こっぱずかしい。。。汗
赤いポストに投函したり、郵便受けの前で手紙を待ち焦がれる姿が...w

で、ですね、
存在というか保存されていることは、聞き知っていたので。。。
あれほど捨てておくようにと言ったにもかかわらず、母は捨て損ねてあの世行き。
11-2年ほど前だったか、母亡き家を片付けた時に、出てきやがりました。。。
往ったり来たりの現物「おてまみ」が。。。もれなく一箱に詰められていましたw

タイムカプセルですねw...阿呆らしいですよ。。。全く。。。><
読むと、転げるほど、笑わせてくれますぜ!...爆

ま、そんなことはさておき、
年末年始とは、洋の東西を問わず、そーゆー季節なのですね。
冬至を境にして、クリスマスだとか、正月だとか、
みんなが集まるように、、、という、仕組みなのですね。
先ほど、スーパーに買い物に行った帰り途、
故郷に帰省して来たらしい家族が、横に並んで歩く姿を、見かけました。


by arinco11 | 2013-12-23 15:50 | note...もの語り | Trackback | Comments(4)
Commented by aonami24 at 2013-12-24 11:54
こんにちわ、名古屋は伊吹おろしが日に日に冷たくなります。
南国が羨ましいと思う季節が、しばらく続きます。
ご両親の出会いの時代は、昭和25年に朝鮮戦争が始まり、特需景気に沸き、尾張では製造業が急成長した時代。お父さんがお勤めの会社も
残業に次ぐ残業で、とても高知に航る時間も無く、
往復書簡が増えたことと推察します。
私の昭和25年は小学2年生で、担任の若い女の先生が怖い怖いと
泣きそうな顔をしていたのを記憶しています。
戦争の起きた翌月に金閣寺が消失、その前年の正月に
法隆寺金堂が炎上して壁画焼失。
子供心に新聞の大きな金閣寺炎上の写真に恐怖を覚えました。
その翌年の昭和26年(小学3年生)の夏休みには、先生に引率されて
日本で最初の民間放送・中部日本放送(CBC)の開局を見学に行きました。
お母さんは今の私の歳に亡くなられたのですね。
私も母が小さな商いをしていましたので、年末は忙しくて
クリスマスの美味しい記憶は何もありません。
Commented by arinco11 at 2013-12-24 19:15
■aonamiさん...昭和という時代に匂いを嗅ぎつけた方、一名、捕獲です^^
お察しどおり、ちょうどその頃、溶鉱炉を学びながら作るプロジェクトの一員であった、父です。
ですから、各地の鉱炉に出張し、そこから出した葉書も混ざっています。
また、残業続きだったのは、
便せんではなく、社用のフルスカップに横書きで書き綴ったものも、混ざっています。^^
さらに、若いのは、大勢の前で、説明会の講師などをやって、
まずまずだったことなど、母に書き送っています。若い@@
母は、母で、乙女丸出しw
ほんと、笑かしてくれます^^

あ!母は、1996年に66.5歳で他界、家を片付けたのは、その5年後です。

焼け跡と復興は、昭和27年生まれの私の目にも残像がくっきりと。
まだ、焼け跡があり、その頃はそうとも知らず、そこで鬼ごっこしてました。
Commented by aonami24 at 2013-12-25 10:00
私は年が開けるとすぐに誕生日が来て、72歳になります。
午歳です。お母さんはこれからが老後と言う時に、亡くなられたのですか。
壱月生まれですので、誕生日も正月のお祝いと兼用で
格別、誕生日祝いなどされた記憶も在りません。
以前に私が生まれた頃の画像をUPしたブログの日記をリンクしておきます。
フルスカップの罫線は青焼の複写で出ないように
青い薄い色でした?
大企業は隅に会社のロゴマークや社名が印刷されていたと思います。
コクヨの既製品もありましたが、最近は見かけません。

http://aonami24.exblog.jp/9956603/
Commented by arinco11 at 2013-12-25 22:30
■aonamiさん...年末年始は、駆け込みや先駆けがあるもんですね^^
うちの母が、まさに午年ということなのですが、
1月2日という誕生日には、本人が疑惑を持っていました。^^;
どうやら、前年の年末、慌ただしい中、誕生したようです。
叔父が、「年末に産まれたヤツがいる!」とw
12月1月生まれの方は、お誕生日の実感が薄いかもしれませんね^^
母の誕生日は、いつも、おまけでセットみたいな感じでした^^

フルスカップ(古い言葉かも...)、
ワープロやパソコンの出現で消えていったかもしれませんね。。。
>青い薄い色でした! BINGO!!!

先輩の記事、読ませていただきました。ありがとございました。
あの頃にはあの頃なりの、時代があったのですね。

>心は不良だが、外見は普通、これからも己のペースで...

四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ...
渋沢栄一さんの言葉だそうですね^^


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